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メジャーリーグ 松井秀喜選手が現役引退表明 引退理由は?成績は?

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アメリカ大リーグと、日本プロ野球で活躍してきた 現タンパベイ・レイズの松井秀喜選手が
27日、ニューヨーク市内で記者会見を開き現役引退を正式に表明することを発表しました。
松井秀喜
今シーズンの開幕を所属先が決まらないまま迎えた松井選手は、4月30日にレイズとマイナー契約、5月29日に大リーグに昇格を果たしますが、34試合に出場して打率1割4分7厘、2本塁打、7打点と成績不振で、8月1日に自由契約となってしまいます。その後は正式な契約が決まらないままシーズンを終え動向が注目されていました。

日本球界の宝であった「ゴジラ」松井が引退を決めたということで、野球の歴史にまた一つ幕が降りたという印象を受けています。具体的な引退の理由は何だったのでしょうか、これまでの成績を振り返りながら見ていきたいと思います。



まずは、松井選手のプロフィールからご紹介します。

 松井 秀喜
Hideki Matsui
出身地 石川県能美郡根上町(現:能美市)
生年月日 1974年6月12日(38歳)
身長  188 cm
体重  99.8 kg
投球・打席  右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1992年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1993年5月1日
     MLB / 2003年3月31日
最終出場 NPB / 2002年10月10日
     MLB/ 2012年7月22日
経歴(括弧内は在籍年)
・星稜高等学校
・読売ジャイアンツ (1993 – 2002)
・ニューヨーク・ヤンキース (2003 – 2009)
・ロサンゼルス・エンゼルス (2010)
・オークランド・アスレチックス (2011)
・タンパベイ・レイズ (2012)


松井選手は、ちょうど私が小学生で少年野球に明け暮れていた頃に甲子園出場を果たしており
忘れもしない1992年の夏の甲子園での2回戦「明徳義塾」との一戦で起こった「5打席連続敬遠」
が有名な話ですよね。小学校の野球部でこの出来事について意見を話し合ったことを今でも鮮烈
に覚えています。

これが松井選手の名を伝説にした最初の事件ではないでしょうか。明徳義塾監督の馬淵史郎は試
合後、『高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた。』とコメントしたそうです。
高校での通算打率は4割5分、60本塁打を記録しています。

ドラフト会議では、阪神、巨人、中日、ダイエーから1位指名を受け、交渉権を獲得した巨人軍
に契約金は1億2,000万円、年俸は720万円で入団しました。

巨人軍では、日本球界を代表する長距離打者となり、10年間で計1268試合に出場し、で通算
打率は3割2厘、332本塁打を放っています。巨人軍の4番として長年プレイし選手会長も務め
るなど、巨人軍の支柱でありました。

2002年にFA権を行使し、米大リーグ ニューヨークヤンキースと3年総額2,100万ドル(当時
約25億4,100万円)で契約し移籍しました。その後ロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・
アスレチックスと移籍し、メジャーでも10年間プレイし同じく5000試合を越える試合に
出場し、計175本の本塁打を放ち、通算打率は2割8分2厘となっています。

今回の引退理由についてですが、やはり思うように成績が伸びなくなってきたことが大きな原因
だと思います。守備と打撃の両面で不調が続き、けがも重なってかなり悩まされたことと思いま
す。レイズでの戦力外通告を受ける頃にはファンからも厳しい言葉が出ていたようです。

記者会見では「たくさんの出場の機会をいただいたのにも関わらず、今季結果が振るわなかっ
たことが大きな要因だと思います。」とコメントうを述べていました。

スポーツ選手というものは、やはり体と相談をしながら自分の引き際を決めるものだと思います。
全盛期の一番いい時に引退する選手もいれば、限界まで挑戦し続ける選手もいます。松井選手は
かなり悔しい思いをして引退を決めることになったと思いますが、これまで見せてくれた素晴ら
しいプレイは、たくさんの人に感動を与えてくれました。

きっとこれからは、日本に戻って、日本野球界を活気づけてくれることと思います。ひとまず
長い選手生活本当にお疲れ様でした。そしてたくさんの感動をありがとうございました。





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